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映画『百円の恋』感想 ― 痛くてもダサくても、今日もリングに上がる人へ。

大人になると人は涙もろくなると言われています。子供に比べて過去に様々な感情を体験してきたことで、目の前の出来事と過去の体験を重ね合わせて共感することができるからだそう。

裏を返すと、その人の涙を見ればその人がどういう生き方をしてきたかが分かるということかもしれません。

だとすると映画『百円の恋』を観て心を打たれる人は、傷つきながら自分の居場所を求めてイタくてもダサくても必死に生きてきた人間です。今日はそんな映画を紹介させてください。

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『百円の恋』のあらすじ

定職にも就かず実家に寄生しながらふしだらな毎日を空費する、安藤サクラ演じる主人公の一子(いちこ)。ある日家族と喧嘩して家を飛び出し1人暮らしを始めます。

パワハラ・強姦・好きになった男の蒸発。底辺の人間たちに囲まれ何も上手くいかない一子が出会ったのがボクシングでした。

好きだった男の影響から軽い気持ちで始めたボクシングは、徐々に彼女の生き甲斐と変わっていきます。全てを捧げる勢いでボクシングにのめり込む一子は「試合がしたい」といってプロ試験に臨むというのが話のあらすじ。

『万引き家族』を観て安藤サクラの演技に惚れ込み、だったらと友人に勧められて観たのがこの作品。

引きこもり同然だった冒頭から、ボクシングの上達につれて見違えるように機敏になるフットワーク、試合前の鬼気迫る表情など、安藤サクラの名演技が光る作品です。

 

呆れる程に、痛かった。

劇中に描かれているのは、何もかも上手くできない自分の不甲斐なさ、心がチクチクとする痛み、そこで見つけたボクシングという儚い希望、傷つき痛みを負いながらそれでも自分を変えたいと願う気持ち。

映画を見終わったぼくは、気づけば涙していました。何も上手くできない引きこもりがボクシングに挑む。この“いかにも”な設定は確かにフィクションの域を出ないかもしれません。

でも考えてみてほしい。本当は自分だって弱い自分を抱えながら、それぞれのリングの上で毎日戦っているんじゃないかと。必死に戦ってもがいて、でも世の中は甘くなくて、毎日に絶望しながらもその絶望とさえ折り合いをつけて生きていく。いや、生きていかざるを得ない。

そんな自分――どうしようもなく鈍臭く泥臭く格好悪く世の中に足掻く自分――に身に覚えはないだろうか。一子の物語に感動して泣いたんじゃない、一子の物語を通じてあぶり出されたそんな自分を目の当たりにしてぼくは泣いたのかもしれません。

 

ねぇどうして うまくできないんだろう

映画のEDテーマはクリープハイプの『百八円の恋』。作品タイアップで作られたこの曲が、主人公の切なさ悔しさ希望その他一切の感情を一気に増幅させます。

“もうすぐこの映画も終わる
こんなあたしの事は忘れてね”

ギター1本の弾き語りから始まる冒頭は、「わたし、百円くらいの価値しかないから」と語る劇中の一子の気持ちを独白しているよう。

“ねぇどうして うまくできないんだろう”

曲後半は歌うというよりも叫ぶに近い、ややもすれば駄々をこねる子供のようにも思 える。その叫びが、歌詞が、泣くことすら忘れたふりをした大人の心に刺さります。

 

痛い痛い痛い でも 居たい居たい居たい

人は生きていくだけで傷つくもの。カンナで心を削られるような痛み、針で胸を刺されるような痛み、顔面に左フックを食うような痛み。

もう降りてしまいたいと思う気持ちを奮い立たせてでも、人は今日もそれぞれ自分自身のリングに上がります。どんな痛みを伴っても、それがやっと見つけた自分の居場所だから。

痛くてもダサくても必死に生きる姿がそこにある。器用には生きられずに迷う人に観て欲しい映画です。

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